2011/05/03

[C2011-02]映画『英国王のスピーチ』を観た

日比谷シャンテ。

滑舌が悪く、いわゆる吃音の英国皇太子の弟が、その自らの問題を乗り越えようと必死にもがく映画。そこに英国の王族としての宮殿での生活や公務、1930年代のロンドンの街並みなどが再現されていて美しが、きらびやかさといったものは垣間見えない。劇中のバーティー(後の英国王)のセリフにもあるが、この頃の英国王室は「王族という会社」であり、王族としての仕事(公務)を立派にこなしていかなければならない一種の「隷属状態」であったのだ、ということがうかがえて新鮮だった。

そんな中でバーティーは王族という会社の重役として、「与られる責務をしっかり果たしていきたい」と常に考えている真面目な青年(?)だ。誰よりも真面目で、王になる前から(一時は父王の跡を兄が継いでいた)「人前で話せない」という生まれついた(と考えていた)欠点を克服しようと必死で、そこに胸を打たれた。

そして、その真面目さは王族としての誇りの高さからくるものだと観ている側は承知をしているにもかかわらず、決して平民を蔑むことはなく、治療のためにお互いの信頼と対等な関係を求めるライオネル(スピーチ矯正の専門家・オーストラリア人(蛮民というセリフがあったような…もち平民))とも、いろいろあるにはあるけれど、信頼関係・友人関係が築けるなど、人柄も立派だ。

また、落ち込んだりしながらも必死に努力を続けるバーティーを支え続ける妻、エリザベスの献身には胸が熱くなった。やはり夫を励ます「ステキな吃音、幸せになれそう」というセリフには目頭が熱くなった。


人々に勇気を与える仕事というのは、この物語の舞台よりももっとずっと以前から確かにあったのである。人々の士気を高め、生産性を高めるという立派な仕事である。そこそこ自分に与えられた仕事ができても、ブチブチ愚痴ばかり口にして周囲の仕事の能率を落とすような人間よりずっと立派な仕事だと思う。

しかし、仕事である以上、そこには必ず向き不向きがある。人間性、社交性は今最も重要視される能力であるし、それを仕事の武器にできるまでにどれだけ鍛えて来れたか、というのはその人の生まれ持った性格や環境の影響も少なくない。概して子供の頃の努力よりも大人になってからのそれの方がしんどいような気がする。そのようなことを考えながら仕事をしていると、「この仕事はアイツならもっとうまくやるだろうにな」と思うことはしょっちゅうである。

人々の前に立って何かを訴える。時に見も知らぬ大勢を相手に自分を演じ、あるいはその一部をさらさなければならないこともある。バーティーは何度もラジオ放送で「事故」を起こしてきた。当時、吃音や心身症にどれほどの理解があったのだろうか。今の職場や業界そのものでも十分とはとても言えないのに、それを抱え、国民(当時の英国王室は世界人民の四分の一を統治していた)に恥を晒すのはどれだけ辛いことだったろうか。

それでもバーティーは王位から逃げずに真摯に自分自身に取り組む。人々はやはりそんな自分たちの王を見ているのだと思う。歌手や流行歌やテレビのバラエティ・ドラマ、映画もそうだが、それらを娯楽だと一蹴する人もいる。だが、いつの時代もそれらが絶えたことはなかったのではないだろうか。いわゆるアイドルではなくとも、好きな歌の一つや二つは誰にでもあるものだ。それは確かに、誰もが誰かに勇気を与えられてきた証拠ではないだろうか。

英国も日本も、他の少なくない国々でも、勇気を与えてくれる象徴的存在として王室を守り続けているところがある。ライオネルを演じたジェフリー・ラッシュがこの映画のパンフレットでも述べているが、現代の世の中においても、まだ王室、君主制度が存在するという事実は、すごくおもしろいと思う。それは統治するもの・されるものという関係から、人々が生まれ持った「真摯さ、敬虔さへの憧れ」を投影する対象へと変わった、あるいはそぎ落とされたのだと思うが、確かに人々には不可欠なものなのだ。

自分は特段王室、皇室の熱狂的な支持者ではないが、上に述べたような役割を日常とする、仕事とする人が確かにいるのである。その中で逃れられない使命に向き合い、自分と戦い続けたバーティーは、やはり王にふさわしい人物だと思う。バーティーは王に生まれたのではなく王になったのだ。

私たちも向き・不向きで自分の能力・役割を狭めてしまうだけだはなく、時には向いていないと思う事柄に対しても、正面からぶつかり、その対象に誇りを持てるくらい必死に取り組んだなら、どんなことも新たな自分の領域とすることができるようになるのではないだろうか。そのことを改めて教えてくれた映画だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/01/10

[C2011-01]映画『ノルウェイの森』を観た

映画の感想はそれほど書く気はないのでまずはお断り。この記事のタイトルは結構前から使っていて、映画を観たときはそうやって感想を残していたのでそれに倣いました。

この映画については感想を書こうと思ってもネガティブなものしか出てこないと思うので、それほど書く気は起きません。。

 ~~~

昨日の夜観てきました、日比谷スカラ座。あまり話題になっていないであろう映画「ノルウェイの森」。

Norwegian_wood_pamphlet
久しぶりにパンフレットは買ってきてしまいましたが…。
だいたいどうしてパンフレットがレコードなのか、たぶん
原作を読まないと分からない…。

まず、この映画は日本映画ではありませんね。何をもって日本映画というのか、何をもって「どこどこの国の映画だ」というのかは判然としませんが、この映画は日本映画ではないということは観ていれば誰もが感じることだと思います。音楽の使い方や音楽そのものの流行り、みたいなものが違うのかな。

まぁこの映画は1968~1970年の話なので音楽には気を遣うところで、歌はその当時流行していたものなのだろうなと思うのですが、それ以外の心象背景といいましょうか、オーケストレーションで登場人物の心情を表す、みたいな音楽が違う、と思ったのでした。

監督はベトナム系フランス人のトラン・アン・ユンという方。この方は全く知らなかったし、映画も観たことはありません。この方が日本の原作に敬意を表して、日本人キャストで日本で撮影した、というだけのフランス映画?なのかもしれません。

この方の映画がということではありませんが、この映画は、渋谷のマイナーな映画館で観るマイナーな日本のハズレ映画、という感じでした。ただシーンとセリフがつながっているだけ、という。2006年暮れに公開された「海でのはなし。」という映画を思い出してしまいました。この映画も音楽にスピッツの曲をかなり積極的に取り入れているせいで、光と影、つまり映画がメチャクチャになってしまっている好例かと思います。主演はあの宮崎あおいさんと西島秀俊さんという、僕の大好きな二人なのですが……。この現象は100%近くが監督のせいだと思うのです。「ノルウェイの森」については分かりませんけど。

僕が心配していたのは、この話が2時間で収まるのか、ということでした。まぁまともにはおさまりませんよね。というか、日本人ならばこの小説を映画化しようなんて思わないでしょう。あまりにも小説が完結しているため、映画化しても絶対の絶対に悪くなるだけなのが誰の目にも明らかだからです。

映画化するのが悪いことだとは思いませんし、現にこの映画化を機に小説を読んだ方も大勢いるはずです。僕の友人にもいます。僕も少なからず「面白い映画になっているかな?」という期待があって観にいきました。もちろんこのような心配もありましたし、そうなった場合の覚悟もしていったつもりです。したがって、ことさらどうこう書くつもりもありません。

ただ、どうして良い感想を持てなかったのかというと、この映画は映画だけで完結できていない、ということにあります。映画だけでは情報が全然足りていません。なぜ緑が「私これまでの人生で十分に傷ついてきたし、これ以上傷つきたくないの」というようなことを言うのかが全然分かりません。これでは緑がとても薄っぺらいことを言うただの若い女性になってしまいます。レイコさんにしても同じです。セリフが聞きとりづらく、原作を思い出して補間した個所もいくつかありました。

そもそも、作中に全く説明がないため、「なぜ『ノルウェイの森』なのか」ということも分かりません。

映画だけで十分な情報を提示するには尺が足りません。基本的に小説をそのまま映画にするのは不可能です。その代わり映画は映画なりの独自性というか個性を発揮すべきで、それをこの小説で行うのは不可能だと思うのです。前述の通り、この小説はこの小説で完結してしまっていると思うからです。物語の一部を大胆に削ったり、独自の物語を入れてみたり、といった可能性がほとんど残されていないのではないでしょうか。その上、時間の都合上原作も十分になぞれません。初めから勝ち目はどこにも残されていないと思うのです。

 

この映画は、いつか友人と行こうと取っておいたのですが、都合がつかないままだったので自分だけで行ってしまいました。一緒に行かなくて良かったかもしれません。その後に感想を語り合おうにもポジティブな言葉が出てこなかったでしょう。

 ~~~

映画の後、久々にいくつかのチラシをもらってきた。最近は映画をほとんど見なくなってしまったので、この中のうちどれだけ観にいくかは全く不明。

『神々と男たち』
2010年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞、ということを抜きにしても面白そうな作品。

『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』
大政絢さんが目に入って手に取った作品。乱暴でワガママで壊れた女の子まーちゃんを守る男の子の話、のようだ。楽しそう。大政絢さんが壊れた役とは適役かもしれない…。

『完全なる報復』
上映前の予告でやっていておもしろそうだと思った。妻子を殺されながらも司法取引で容疑者は極刑を免れた。そんな司法に怨みをもった夫が復讐をする話。

『英国王のスピーチ』
これも上映前の予告で。話をするのが苦手、という国王が国民の前で話ができるように努力したりする話。

『ウォール・ストリート』
マイケル・ダグラスに惹かれただけ。

『ナルニア国物語 第3章 アスラン王と魔法の島』
第1章、第2章は観ていないけれど、ファンタジーは嫌いではないので。

『GANTZ』
これも上映前の予告で。でも漫画原作だということと、パート2が既に控えていることと、10代20代向けのエンターテインメント映画だということで、それほどの興味はない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/12/26

『Have Yourself a Merry Little Christmas』を訳してみた

先ほど、A Fine FrenzyのAlisonがクリスマスソングをアップしてくれました(twitter)。

この歌詞を調べたところ、1944年のアメリカ映画の歌のようです。映画版と、その後詞が大きく2回改変された版がるようですが、その後ろの方、1957年にフランク・シナトラが改変を望んだ版の詞がポピュラーのようで(*1, *2)、Alisonはそちらを歌っています。

Have yourself a merry little Christmas,
Let your heart be light
From now on,
our troubles will be out of sight

Have yourself a merry little Christmas,
Make the Yule-tide gay,
From now on,
our troubles will be miles away.

Here we are as in olden days,
Happy golden days of yore.
Faithful friends who are dear to us
Gather near to us once more.

Through the years
We all will be together,
If the Fates allow
Hang a shining star upon the highest bough.
And have yourself A merry little Christmas now.

調べればすでに対訳を書かれている方もいらっしゃいますが(*3)、自分なりに訳してみました。

例によって、「そこおかしいよ」「こう訳した方がいいんじゃない?」などありましたらドンドンお願いします。

Have yourself a merry little Christmas,
さあ、ささやかなクリスマスを祝いましょう、
Let your heart be light
こころを安らかにして、
From now on,
our troubles will be out of sight
今は、嫌なことは忘れてしまいましょうよ。

Have yourself a merry little Christmas,
さあ、ささやかなクリスマスを祝いましょう、
Make the Yule-tide gay,
クリスマスの今を華やかに飾って、
From now on,
our troubles will be miles away.
嫌なことははるか彼方に追いやっていいのよ。

Here we are as in olden days,
Happy golden days of yore.
昔みたいに、あの輝いていた日のように。
Faithful friends who are dear to us
Gather near to us once more.
とても大切な、信頼できる仲間たちとみんな、もう一度集まって。

Through the years
We all will be together,
過ぎ去った年月を飛び越えて、私たちは一緒になりましょう。
If the Fates allow
もし運命が許すなら。
Hang a shining star upon the highest bough.
あの一番高い枝にキラキラ輝く星をつるして
And have yourself A merry little Christmas now.
さあみんな、クリスマスを祝いましょうよ。

相変わらず意訳しかできませんが、意訳ならばそう難しい詞ではなかったですね。

「この歌は(正確にはJudy Garlandのパフォーマンスが)World War IIの兵士たちを涙させた」(*1)とあったことから「Through the years we all be together, if the fates allow.」を上のような訳、「いままでばらばらだったけど、これからは一緒だよ」的に訳してしまいましたが、文法的にも文脈的にも、「if the fates allow」がつくことからも、(*3)で訳されているように「もし運命が許すなら、これからも一緒だよ」とした方がいいのかもしれませんね。

映画でも家族が住み慣れた地方からニューヨークに引っ越すというところで、家族みんなで歌っていたようなので、「これからも一緒に」が正解ですね。

また、軍隊的な別離と再会、みたいなイメージから男言葉で訳していたのですが、今回Alisonが歌っていたのを訳そうと思っていたことを思い出して、慌てて女言葉に換えてみました。。(笑)

 

一日遅れましたが、メリークリスマス!

 

*参考:

  1. Wikipedia:Have Yourself a Merry Little Christmas(en)
  2. There's Something About Merry
  3. Have Yourself A Merry Little Christmas (対訳や曲メモがあります)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«Hey MondayのHANGOVERを訳してみた