自分を常にベストに保つ谷亮子選手の姿を見て、自分たちは
今夜は同じような記事が日本中のブログに投稿されるのだろうが、やはり自分も、自分なりに感じたことを書かずにはいられない。
北京オリンピック日本選手の先陣として、谷亮子選手が銅メダルを獲得した。自分は今回のオリンピックに取り立てて興味はなかったものの、ほぼ同年代である谷選手だけは気になっていた。とはいえ、今日、まさにこの時間に試合中だとは知らずに、適当にNHKをつけたところ準決勝の真っ最中であった。
自分は剣道をやっていたため、どうしても柔道と剣道を比べてしまう。柔道では、その得点(というのか?)が一本を最高に技あり、有効、効果、と細かく分かれる。技が掛けられたとき、その得点はほぼはっきりとしており、これらのどれかに分けられる。一方の剣道は、一本のみが得点として認められる。他に反則があるが、これは試合の結果には影響されない。反則を2回やると一本となるだけである。このため、繰り出された技が一本か否かが大きく、剣道をあまり見ていない人にはその判断が難しいらしい。そのためオリンピック競技になっていない、という話をしていた人がいた。もちろん競技人口もあろうが。
準決勝では、谷選手は試合時間の終わり頃に指導を受け、それが相手の効果の得点となってそのまま敗れた。自分の視点からすると不条理だと思うのだが、谷選手はそんな世界でずっとやってきたのだ。そんなことを言ったら失礼にあたるだろう。
試合中、谷選手は常にクールである。これは今までのオリンピックや他の試合でも同じだった。世界へのお手本として日本の柔道の礼と道を示しているようであった。自分だけ指導を受けた時は戸惑っていたようだったが、試合後も、3位決定戦でも静と礼は失わなかった。もちろん試合に負けたショックも大きかったであろうが。
自分がすごいと思ったのは、自身もショックであったろう準決勝での敗戦がありながらも、そのしばらく後の3位決定戦まで自分を保っていたことである。クールでいてかつ闘志に満ちている谷選手の表情にいつの間にか釘づけになっていた。
冷静さも闘志も、それを保つのはとても大変なことである。思いがけない敗戦のあとでは、がっかりし、あるいは自分がなくなったように感じ、集中力を保つことが難しいのではないかと思う。頭では分かっている、集中しなければいけない、カーっとなってはいけない、冷静に試合を判断するんだ。こんなことを試合中まで考えているようではきっと勝てないのであろう。身体が自分の意識下で動かされている感じ。それは、闘志、モチベーションが下がっている状態なのではないだろうか。
谷選手はその長い選手生活の中で、自分が集中するときの呼吸、冷静な意識、闘志に満ちた身体の感覚、そういったものを自ら診断し、コントロール術を身につけてきたのかもしれない。「いつもどおりに」ということを選手たちは答えるが、そんな自分自身の対話の中でいつも通りの自分を引き出し続けてきたのかもしれない。
しかし、そうは言っても、あらゆる選手が「いつも通りの力を発揮すること」を念頭に置いているように、それはとても難しいことなのだと思う。長い間、マスコミや多くの人から期待と声援と少しの攻撃を受ける立場に立ってきて、「こうでなければいけない自分」というものの意識もあると思う。
自分の柔道が自分だけのものではない感覚。そんな中で一人孤独に闘いながらも、今目の前の試合に勝つ、ということだけは自分だけのものだったのだと思う。潔く負けを認め、感情的にならずに柔道家としての礼を重んじ、冷静でいながらも闘志を燃やし続け、周囲に影響されず、自分のベストを発揮する。
自分はその姿を見て、正に、今の自分のお手本だと思った。今回の銅メダルは、自分のような「今、頑張りたい」と思っている多くの人たちに力強いメッセージになったと思う。柔道の試合の苦しみもそこそこに「谷亮子金メダル!」ということだけを報道されるよりは、少なくとも自分の胸には響くものだったと思っている。
谷亮子選手の無念さを無駄にしないためにも、自分たちは頑張っていかなければいけない。
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