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2009/05/31

コミュニケーション能力について② ない人間が生きて行くチャンスとは

コミュニケーション能力という言葉が独り歩きしている傾向はある。メディアなどではコミュニケーション能力がない奴は失業しても仕方がないと言っているようだ。それについての反対意見は聞いたことがない。そもそもコミュニケーション能力がないと自覚している人はパブリックなメディア(テレビ、新聞、雑誌など。これが今や主流であるかどうかは意見が分かれるだろうが、パブリックであるということではいいだろう)では発言する機会がないし、そのようなメディアではそんな話は誰も聞かない。それこそこのようなウェブをメインに発言しているのだろう。

昔は寡黙という言葉が通用し、それも個性の一つだったと思うのだが、半端なグローバル化でいろんなことが効率化された結果、少しでも非効率な寡黙な性格はビジネスの場では邪魔だということになってしまったように思える。視点が個人からスピードへとシフトした、ということだろうか。相手を思いやること、相手と少しでも深くかかわることにストレスを感じ始め、そのような関係を半ば強いてしまう寡黙さを嫌う、ということだろうか。

それとも昔からそうだったのだろうか? そうだとすれば、自分のような人間は近現代の社会では淘汰されるべきものなのかもしれない。とりあえず今もそんな人間になりうる(先天的、後天的含め)遺伝子が受け継がれてきているところを見ると、近現代より前はまだ寡黙な人間にもチャンスがあったということになる。

しかし、本当はそんなことはどうでもいいのだ。自分がどう見られているか、そのことに敏感になって、直していくべきだと思う点を間違えずに捉え、しっかりと直していくことが大事なのだ。時代や周囲の人間のせいにしても何も変わらないし、そもそも周囲とはそういうものなのだ。

みんながみんな友達ではないし、みんながみんな自分のことを好きでいてくれるわけではない。みんながみんな自分のことを気に掛けてくれるわけでも、心配してくれるわけでもない。

本当の意味で、個人とはそういうものだ。自分にとって必要な人間関係を自分で見つけ、それを作り出し、キープしていくこと。それが個人であり、自立するということだと思う。他人に頼り続けていてはいつまでたっても自立できない。

自立した人間として、社会における自分の欠点を見つけ、絶えずそれを改善し続けて行く。そしてそういったことはコミュニケーション能力の有無に限らず、他のどんなことでも同じだ。

自分のようなコミュニケーション能力がないとされる人間を毛嫌いする周囲の人たちを憎んだり、彼らに反発したりせず、自分を改善し続けて行くこと。それができれば自分たちにも生きていくチャンスがあると思っている。

 

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