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2010年5月

2010/05/17

Twitterで英語をつぶやこうとするときのコツのようなもの

Twitter(ツイッター)で英語をつぶやく、ということをここ1年くらい続けています。

続けています、といってもまったくつぶやかない日もあるし、日本語を連投してしまう時もあります。でもまだ自分のアカウント(@tatakauashi)のタイムラインは毎日チェックしているし、たまには海外の方のreplyをいただいたりreplyしたりしているので、自分的には続いています。

そんな中で自分が感じた「Twitterで英語をつぶやき続けるコツ」をつらつらと上げてみたいと思います。

  1. アカウントを一つに絞る

    よく見かけるのが、英語でつぶやくアカウントと普段日本語でつぶやくアカウントを分けている、という人。
    初めはいいかもしれませんが、だんだん英語でつぶやくアカウントの方はログインもされないまま放置されてしまうことが少なくないようです。

  2. 海外アカウント、日本人アカウントを混ぜてフォローする

    アカウントを一つに絞ったら、当然日本人のアカウントと海外のアカウントを混ぜてフォローすることになります。これはむしろオススメで、海外の方があなたのアカウントを経由して他の日本人のアカウントをフォローしてくれる可能性があります。

  3. 海外アカウントのフォロワーを意識して、原則つぶやきは英語にする

    自分をフォローしてくださっている海外アカウントの方は、英語でつぶやくあなたのつぶやきをタイムラインで眺めます。その中に異種な言語である日本語が混じっていると奇妙に感じるでしょうし、あまりにそれが続くとフォローを取り消されてしまう(アンフォロー(unfollow)されてしまう)こともあり得ます。
    自分をフォローしてくださっている日本人の方のタイムラインにも自分の英語のつぶやきが表示されますが、簡単な英語ならば読んでもらえると思います。たまに、いつも日本語でしかつぶやかない友人が自分の英語のつぶやきを読んで英語で返信してくれることもあります。
    または、最後に紹介するダイゴさんがされている方法ですが、140字の中に英語とその日本語訳を一緒につぶやく、という方法もいいと思います。140字に入らなかった場合は続くつぶやきで日本語訳をつぶやきます。
    これは自分もたまにやります。

  4. 日本語で(日本人向けに、大量に)つぶやく場合は特定の友人グループ(相互フォローをしているグループ)向けに、その中の誰かへのreplyでつぶやく

    つぶやきには大きく分けて3種類(ダイレクトメッセージを含めると4種類)あります。
    通常のつぶやきはあなたをフォローしているすべての人のタイムラインに表示されますが、特定のつぶやきに対する返信(reply)は、
     ①返信の宛先(返信先)の人と、
     ②自分と返信先を両方フォローしている人
    のタイムラインにしか表示されません。自分はこれを利用して、友人グループに日本語でつぶやく場合はその中の一人のつぶやき選んで返信するかたちをとっています。これですと、自分をフォローしてくださっている海外アカウントの方が自分の他に返信先の人もフォローしていない限りはその方のタイムラインには自分の日本語のつぶやきが表示されない、というわけです。

    それでも多くの日本人につぶやきを読んでもらいたい、と思った場合はどうすればよいでしょうか。
    自分はやったことがありませんしあまりお勧めしませんが、多くの日本人に(だけ)フォローされている方への返信をすればよいのです。鳩山総理や広瀬香美さんといったことろでしょうか。
    ただ、これはTwitterの正しい使い方ではありませんので、お勧めはしません。そうは言っても鳩山総理のつぶやきに対する返信をしてはいけないというわけではありませんので、あくまでも鳩山総理のつぶやきに対する返信に絡めて自分の意見を表明する、というのはアリではないでしょうか。

  5. 海外アカウントにも積極的にreplyする

    海外アカウントの方とつながっている感覚を持てるのがTwitterの魅力の一つです。Twitterを通した友人として仲良くなるためには積極的に交流を持つようにするとよいと思います。
    そんな中でも次のようなことをするとよりやり取りが活発になるかもしれません。
     ①フォローしてもらったらフォローし返す
     ②相手が知らない日本の状況(今何時、暑い、寒い、桜が咲いた、など)をつぶやきに含める
     ③相手の国・地域のことを質問する
     ④日本の独自のモノ?と思われるものを写真に撮ってアップし、それをつぶやく

  6. 海外アカウントからreplyでコメントや英文法の指摘などをもらったらすべて(なるべくすぐに)replyし返す

    英語でつぶやき続けていてもそれだけでは独りよがりなもの、英語の独り言になってしまいます。海外アカウントの方からは自分もよく英文法や言い回しに関する指摘をいただきます。ネイティブからの英語に関する指摘が無料でもらえるなんて、とても嬉しいですよね。お礼は必ずしたいものです。
    ただ、海外アカウントから返信をもらうと、その返信の内容を考えるのに時間を掛けたりして、結局返信が翌日になってしまった、ということも多々あります。Twitterはゆるいコミュニケーションが許されるためそれもアリなのかもしれませんが、その間に日本語のつぶやきはいつものようにしていた、ということではあまり受けは良くないのではないかと思います。
    英文法などの指摘をもらったら、とりあえず「Thank you for your advice.」から始まる返信を送り、「自分はあなたの指摘を理解しましたよ」という意思を伝え、できたら指摘された内容でつぶやき直すといいと思います。

  7. 海外のいろいろな人をフォローして、ファンになる

    海外アカウントはたくさんあります。アメリカのオバマ大統領や超有名な俳優さん・女優さん、日本では知られていないようなアーティストやIT系の技術者・経営者、普通の学生や一般の方など。更にはアメリカ・イギリス以外でも英語を使っている方やネイティブでなくても英語でつぶやいている方もいますし、そもそもその他の言語でつぶやいている方もいるわけです。もちろん誰をフォローしてもよいのです。
     
    Twitterを続けていると分かるのですが、海外のアカウントの方のつぶやきをだんだんと読まなくなることが出てくると思います。やっぱり日本語のつぶやきと英語のつぶやきが混ざったタイムラインを眺めていると、当然のように日本語の方を先に読むようになってしまいます。それではせっかく海外の方とつながるチャンスを逃していることになってしまいます。
    飽きることなく海外の方のつぶやきを読み続けるには、やっぱりその人に興味を持つこと、好きになることが大事かもしれません。
    自分はTwitterを通じてA Fine FrenzyHey Mondayのファンになりました。ファンになるとその人のつぶやきは読んでみようという気になりますし、彼ら・彼女らにも断然興味がわいてきて、自分だけの海外情報に触れているような感覚も味わえます。
     
    また、ちょっと面白いところでは、柴田淳さんのファン、ということで先日韓国の方が自分をフォローしてくださいました。どうやら自分がつぶやいた柴田淳さんに関するつぶやきを検索されたようです。この方(Jinaさん)は韓国の音楽業界にいらっしゃる方のようで、日本を含めた海外の音楽事情に興味を持っていらっしゃるようです。
    韓国の方なので通常はハングルでつぶやかれていますが、自分と柴田淳さんの話などをする場合は英語でやり取りをします。

    英語でつぶやいているとこういうこともあるのでおもしろいです。

 

とりあえずこのくらいでしょうか。

また、自分がTwitterをしていて出会った、英語でつぶやくことに関しては自分よりずっと上手&饒舌(たくさんつぶやいている、という意味)なダイゴさん(@dgakane)をフォローして参考にさせていただくのがいいかもしれませんね。

無理をせず、マイペースで続けていきましょう。

 

元の記事。→Twitterで英語生活

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2010/05/05

柴田淳「君にしかわからない歌」の解釈について (1)

柴田淳さんの歌に「君にしかわからない歌」というのがあります。

この歌は柴田淳さん(以下、しばじゅん)の7thアルバム「ゴーストライター」の最後から2番目に収められています。


柴田淳「ゴーストライター」

しばじゅんのアルバムではほぼ恒例となっていると思うのですが、アルバムのオリジナル曲(シングルとして発表されていない曲)の中で、「最も感動させにきている曲」(と自分は感じている)がだいたい最後から2番目に配置されています。

  1. ため息(最後から3曲目。最後の曲がinstrumentalになっている)
  2. 今夜、君の声が聞きたい(最後から2曲目)
  3. 一人暮らし(最後から2曲目。この曲をそうだというのは賛否が分かれそうだが…)
  4. 私の物語(最後の曲)
  5. 泣いていい日まで(最後から2曲目)
  6. 君にしかわからない歌(最後から2曲目)

項番はオリジナルアルバムのリリース順です。ファーストアルバムはこれに当てはまらないため割愛しています。

どの曲も感動的なのですが、最新アルバム「ゴーストライター」に収められた「君にしかわからない歌」だけは、この6曲の中でも情景が想像しづらい異色な歌であるように思えます。この6曲の中ではこの曲だけあまりにも明るい曲になっている、というところも違います(あくまでも『曲』が、です。歌詞は別かも)。

本稿では、この「君にしかわからない歌」の歌詞を読み解き、情景を想像してみることを目的とします。

なお、これはあくまでも自分の解釈ですので、あまり信じませぬよう。あまりにもファンの間の解釈とズレている場合はご指摘いただけると助かります。

 

「君にしかわからない歌」の紹介

この曲が収められたアルバム「ゴーストライター」は2009年11月4日に発売されました。ゴーストライターというタイトルは、CDのブックレットの冒頭にも書いてありますし、最近のライブでもしばじゅんが言及していますが、2009年の初めにしばじゅんを襲った自信喪失(もちろんそんな言葉では言い表せないと思いますが)から、自分がまるで幽霊になったように感じ、そんな自分が身を絞る思いで書いたアルバム、という意味のようです。アルバムを書いたのは私、私は幽霊、というわけです。

アルバムをお持ちでない方はYouTubeにありましたので聴いてみてください。いいなと思ったら「ゴーストライター」をお買い上げいただくと資本主義経済が守られるかと。歌詞はこちらです。


作詞・作曲:柴田淳 編曲:松浦晃久

 

「死」というイベント

最近のアルバムでは、しばじゅんは死を取り入れた歌を書いています。だからどうだ、と言いたいわけではありません。ただ、近しい人の死、自分の死に立ち合う恋人・友人、というテーマをモティーフにしている曲があり、人気も高い、ということです。

本稿では、この「君にしかわからない歌」もそういった曲ではないか、という話を進めていきます。

該当する曲名を挙げてみると次の通りです。

  1. 君が思えば…(5th「月夜の雨」収録。歌詞はこちら
  2. 君へ(6th「親愛なる君へ」収録。歌詞はこちら
  3. 君にしかわからない歌(7th「ゴーストライター」収録)

こう並べてみると、どの曲のタイトルも「君」から始まっていますね。

ではなぜ本稿のように「君にしかわからない歌」を特に取り上げるのでしょうか。

聴いていただくと分かるのですが、前の2曲は明らかに死を示唆する表現と死を前にしたような悲しげな曲調であるのに対し、「君にしかわからない歌」は明確な表現はなく曲調も明るいものになっており、「死に対するイメージ」「死というイベントに対する捉え方」が違っているのではないかと思うからです。

「君にしかわからない歌」では、曲調だけではなく歌詞までもが、まるで何らかの(物理的、精神的の別のない)苦痛から解放されたようなすがすがしさ、「会えないと思っていた君に会えた」嬉しさ、といったものを感じることができます。

また、この3曲のすべてが、主体(歌い手)は「死を前にした人」(もしくは「死んでしまった人」)になっています。性別は、前2曲は男性だと思われるのに対し「君にしかわからない歌」では男性・女性どちらともとることができます。あえてどちらかを考えるならば、歌詞の細かな表現から夢があり可愛らしさを感じることができるため、自分は「君にしかわからない歌」の主体は女性ではないかと思っています。

本稿では「君にしかわからない歌」の一言一句を追って、明るい曲調の秘密と「死というイベントの捉え方」を追っていきたいと思います。

 

死というモティーフについて

「死」については、歌詞に限定しなければ古今東西メジャーなモティーフと言えるでしょう。例えば小説ならばティーン向けのライトノベルから純文学までバンバン人が死にます。それでも日本のポップスの歌詞で死を扱うのは珍しいのか、しばじゅんがこのような曲を書くと一部で物議を醸すことがあるようですが、自分は別段特別な事だとは思いません。

死というイベントを前に、人はどう感じるのか。逝く人は何を思い、どのような言葉を残したいと思うのか。大切な人に旅立たれる人は、その時に何を思い、どんなことを言ってあげたいと思うのか。非常に興味深いと思います。特に、自分が死ぬところを想像するのは楽しいとさえ自分は思います。

死は、死ぬ人にとってはすべての終止符です。死後の世界もなければ、自分が死んだ後のこの世の続きを知る由もありません。ただどうやら、自分が死んだ後も「この世」というものは存続し、自分が知っていた人たちはまだ生き続け、何やらまだ笑ったり泣いたりし続けるらしい、ということを死ぬ前に考えることがあるだけです。死んでしまったら自分で考えることもありませんから。

前の3曲における、具体的な死のモティーフは次のようでしょうか。

  1. 自分が死んでも、恋人は生き続ける(君が思えば…)
  2. 自分の死に際してそばにいてくれるあなた(君へ)
  3. 死後に見る夢(君にしかわからない歌)

もうひとつ特筆する事があるとするならば、小説では一人称の場合、本人が死ぬことは極めてまれだということです。語り手が途中でいなくなってしまうのでは都合が悪いですし、最後に死んでしまう場合は、今まで物語を進めていたのは誰だったのか、という違和感につながるためです。しかし、三人称の小説ではこれにはあたりません。映画の場合もほぼ三人称と言ってよいでしょう。ただ、三人称の場合の心理描写では一人称と比べると読み手との間の距離がやや遠く感じることがあります。

歌詞の場合、詞の中に物語があったとしても時間的にはある一時を表現していることが多く、語り手が死んでしまってもそれほど違和感はないでしょう。つまり、死に行く人の心理描写を書くのに歌詞はうってつけなのではないでしょうか。

しばじゅんがこのような事を考え、ましてや特に好んで死というモティーフを歌詞に取り入れているのかどうかは分かりません。ただ一つ言えるのは、興味深いテーマに対して有効な方法で表現しようとしている、ということではないでしょうか。

 

長くなりますので続きは後日に。

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