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2011年1月

2011/01/14

割り切るより他はない

だいじな仲間を見つけるのは簡単なことではない。いくら同じ時間、同じ苦難を乗り越えたといっても、そんな中でさえ見えているもの、感じていることは皆違うのだから。

僕のことを興味本位でいろいろ言う人間が多少いることは分かっている。ただ、バックグラウンドが違うしものごとに対する優先順位も違う。今はただ同じグループや同じ仕事などをしているというだけで、それ以外の要素ではお互いに関連し合うことはない。そのような場合は、よほど注意深く、ゆっくりと交流を深めていくか、初めから上っ面の付き合いと割り切るより他はない。

僕は基本的に、お互いに切磋琢磨していける人間関係を理想としている。友人にも僕はそれを求める。僕は友人が成長していくのを見るのがとても好きだし、そんな友人に自分が焦りを感ていることを自覚することも好きだ。相手の得意なことから逃げず、正面からぶつかり合える仲間は最高だと思う。

今の職場では、そんな面でぜひ友達になりたいと思う人はとても限られる。その他の人たちには親愛の念を抱けない。残念だが日常生活の背景にすぎない。そして、それはお互いそうなのだ。お互いに同じように感じていることなのだ。

ただ、僕とその他の人が違うところがあるならば、それは、僕は友人以外はいらない、と考えているということだ。お互いに分かった振りをするだけ、酔っ払ったときだけ馬鹿騒ぎをするだけ、そんな人間関係を僕は人間関係とは呼ばない。

そんな関係は他にいくらでも代わりがきくのだ。

仲間を大事にしなければ、という。その仲間はどういった関係なのだ?思いがあるがいつでも馬鹿騒ぎができる関係? いつでもどうでもいい話ができる関係? どちらも暇つぶしではないのか? 暇な人間だけがそんな隣人を求めるのではないのか。

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2011/01/12

鍛錬する必要

僕はこれでも身体を動かすことには自信があった。

ただ、最近はジョギングのたびに膝が痛くなるなど、「年齢(とし)?」と考えてしまうことも出てきた。年齢も若干はあるだろうが、日々の運動不足が主要因だろう。

ジョギングのたびに膝が痛くなるのはランナーズ・ニー(runner's knee)というもので、まぁよくあることらしい。症状が出ると「骨にひびが入った?」とか「関節をおかしくしたんじゃないか?」とか「医者に行かなきゃ治らないなぁ」とか思うのだが、一日安静に(少し膝をいたわり、なるべく階段(特に下り!)を使わないなど気をつけるだけ)していると二日目からは見違えるように良くなる。ただし、調子に乗ってまたすぐにジョギングに行くと更に簡単に痛むようになる。

これは、膝周りの筋肉が足りないため、膝のあたりのじん帯が炎症を起こすなどするためのものらしい。僕は高校まで剣道をやっていたこともあり特に脚には自信があったのだが、剣道を離れて15年、とっくにその頃の体力的な貯金は無くなってしまったのか。。

仕事のオフィスにもジョギングをされている方がいて大いに励みになっているのだが、その方たちのペースに少しでも近付こうにもこの膝痛が邪魔をする。

そのためにも、この成人の日の夜に走って痛くしたことでようやく僕は重い腰を上げ、膝周り、腿の筋肉を鍛えようとスクワットを始めることにした。これはジョギングの補強運動のひとつになっており、手元の本には「1セット10回、できれば2セット行う」とある。このくらいならば何ということもないので、ただひたすら続けてみたいと思う。

 

ああ、もうそのような年齢になってしまったのだろうか。だって、ちょっとジョギングを楽しむために毎日スクワット運動を続けなければ自分の身体がキープできないなんて、ちょっとショックな出来事だった。

 

手元の本です。しっかりできるストレッチなどは気にいっています。


楽しいランニング入門

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2011/01/11

走っている。

新年に入って、風邪をひいたり昨日のジョギングがたたって右ひざを痛めたりと、いろいろツイてないことがある。

ただ、仕事に関してはようやく周囲の役に立てることが回ってきて、今日はそこそこ調子よく仕事ができたと思う。

今月に入って本格的に始まったプロジェクトは4月リリースを目標に走っている。担当の方がとても責任感を持って仕事をされているので、自分も大いに触発され、「がんばらなければ」と思える状況が嬉しい。

今日、4月からも忙しくなるのではないか、といったことを伺ったが、とりあえずは3月までのこのプロジェクトを「最後のひとしごと」と考えて、チームに貢献していきたいと思えた。

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2011/01/10

今年の目標を追加

日常や業務でいつもやめようやめようと思っていたことを、今年の目標に入れようかと。

  1. 仕事中にイヤフォンで音楽を聴かない。
    一応、仕事中にいろいろ質問されたりとか相談されたりとかすることもある立場なので、僕に話し掛けようとする人に話し掛けやすい雰囲気をキープしておかなければいけないと常々思っていたのだけれど、自分の仕事がうまくいかなかったりするとイライラしてしまってつい音楽に頼ってしまいます。これを改善したい。自分の仕事はもっとゆっくり目にスケジュールして、心に余裕を持つべきでしょう。
  2. 間食をしない。
    これは自分の部屋にいるとき。どうも自分の部屋では食事の時間をスケジュールできない。しっかり起床時間、出発時間などを前日に決めて、しっかりとそれに従う。同様に、定めた食事の時間を過ぎたら次の時間までは間食しない。

とりあえずこんなところでしょうか。

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[C2011-01]映画『ノルウェイの森』を観た

映画の感想はそれほど書く気はないのでまずはお断り。この記事のタイトルは結構前から使っていて、映画を観たときはそうやって感想を残していたのでそれに倣いました。

この映画については感想を書こうと思ってもネガティブなものしか出てこないと思うので、それほど書く気は起きません。。

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昨日の夜観てきました、日比谷スカラ座。あまり話題になっていないであろう映画「ノルウェイの森」。

Norwegian_wood_pamphlet
久しぶりにパンフレットは買ってきてしまいましたが…。
だいたいどうしてパンフレットがレコードなのか、たぶん
原作を読まないと分からない…。

まず、この映画は日本映画ではありませんね。何をもって日本映画というのか、何をもって「どこどこの国の映画だ」というのかは判然としませんが、この映画は日本映画ではないということは観ていれば誰もが感じることだと思います。音楽の使い方や音楽そのものの流行り、みたいなものが違うのかな。

まぁこの映画は1968~1970年の話なので音楽には気を遣うところで、歌はその当時流行していたものなのだろうなと思うのですが、それ以外の心象背景といいましょうか、オーケストレーションで登場人物の心情を表す、みたいな音楽が違う、と思ったのでした。

監督はベトナム系フランス人のトラン・アン・ユンという方。この方は全く知らなかったし、映画も観たことはありません。この方が日本の原作に敬意を表して、日本人キャストで日本で撮影した、というだけのフランス映画?なのかもしれません。

この方の映画がということではありませんが、この映画は、渋谷のマイナーな映画館で観るマイナーな日本のハズレ映画、という感じでした。ただシーンとセリフがつながっているだけ、という。2006年暮れに公開された「海でのはなし。」という映画を思い出してしまいました。この映画も音楽にスピッツの曲をかなり積極的に取り入れているせいで、光と影、つまり映画がメチャクチャになってしまっている好例かと思います。主演はあの宮崎あおいさんと西島秀俊さんという、僕の大好きな二人なのですが……。この現象は100%近くが監督のせいだと思うのです。「ノルウェイの森」については分かりませんけど。

僕が心配していたのは、この話が2時間で収まるのか、ということでした。まぁまともにはおさまりませんよね。というか、日本人ならばこの小説を映画化しようなんて思わないでしょう。あまりにも小説が完結しているため、映画化しても絶対の絶対に悪くなるだけなのが誰の目にも明らかだからです。

映画化するのが悪いことだとは思いませんし、現にこの映画化を機に小説を読んだ方も大勢いるはずです。僕の友人にもいます。僕も少なからず「面白い映画になっているかな?」という期待があって観にいきました。もちろんこのような心配もありましたし、そうなった場合の覚悟もしていったつもりです。したがって、ことさらどうこう書くつもりもありません。

ただ、どうして良い感想を持てなかったのかというと、この映画は映画だけで完結できていない、ということにあります。映画だけでは情報が全然足りていません。なぜ緑が「私これまでの人生で十分に傷ついてきたし、これ以上傷つきたくないの」というようなことを言うのかが全然分かりません。これでは緑がとても薄っぺらいことを言うただの若い女性になってしまいます。レイコさんにしても同じです。セリフが聞きとりづらく、原作を思い出して補間した個所もいくつかありました。

そもそも、作中に全く説明がないため、「なぜ『ノルウェイの森』なのか」ということも分かりません。

映画だけで十分な情報を提示するには尺が足りません。基本的に小説をそのまま映画にするのは不可能です。その代わり映画は映画なりの独自性というか個性を発揮すべきで、それをこの小説で行うのは不可能だと思うのです。前述の通り、この小説はこの小説で完結してしまっていると思うからです。物語の一部を大胆に削ったり、独自の物語を入れてみたり、といった可能性がほとんど残されていないのではないでしょうか。その上、時間の都合上原作も十分になぞれません。初めから勝ち目はどこにも残されていないと思うのです。

 

この映画は、いつか友人と行こうと取っておいたのですが、都合がつかないままだったので自分だけで行ってしまいました。一緒に行かなくて良かったかもしれません。その後に感想を語り合おうにもポジティブな言葉が出てこなかったでしょう。

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映画の後、久々にいくつかのチラシをもらってきた。最近は映画をほとんど見なくなってしまったので、この中のうちどれだけ観にいくかは全く不明。

『神々と男たち』
2010年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞、ということを抜きにしても面白そうな作品。

『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』
大政絢さんが目に入って手に取った作品。乱暴でワガママで壊れた女の子まーちゃんを守る男の子の話、のようだ。楽しそう。大政絢さんが壊れた役とは適役かもしれない…。

『完全なる報復』
上映前の予告でやっていておもしろそうだと思った。妻子を殺されながらも司法取引で容疑者は極刑を免れた。そんな司法に怨みをもった夫が復讐をする話。

『英国王のスピーチ』
これも上映前の予告で。話をするのが苦手、という国王が国民の前で話ができるように努力したりする話。

『ウォール・ストリート』
マイケル・ダグラスに惹かれただけ。

『ナルニア国物語 第3章 アスラン王と魔法の島』
第1章、第2章は観ていないけれど、ファンタジーは嫌いではないので。

『GANTZ』
これも上映前の予告で。でも漫画原作だということと、パート2が既に控えていることと、10代20代向けのエンターテインメント映画だということで、それほどの興味はない。

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2011/01/06

しなやかにいきたい

4日の朝から風邪気味だったのが午後になって悪化、なんとか定時まで仕事をして、それでもCDアルバムを1つ買うなど寄り道しながら帰宅した。慣れないおかゆを作ったりしたけれど、体調が悪い時って全然食欲がなくなるんだなぁということを実感しながら一晩悶えていた。

翌5日はやや調子を戻したもののそれも風邪薬のおかげだと断じて、なけなしの、残り1日の有休をつぎ込んで静養していた。夜は汗ばみながら「明日は休めない……」と念じていた、ような気がする。。

そして今日は、前2日とは打って変わって調子が戻っている。この一日二晩で変なものを食べたのか水を飲み過ぎたのか、お腹の調子だけはちょっと悪かった。

 

久しぶりの仕事は開発環境の整備など。PCが重くなるとイライラしたくなくてもしてしまう。そこでこの休み中にiPodに取り込んでおいたPlayStation2の『ワンダと巨像』のサウンドトラックを聴いていた。

アマゾン ワンダと巨像 大地の咆哮 オリジナルサウンドトラック
ワンダと巨像 大地の咆哮

 

特にこの曲「甦る力」が好き music

 

このアルバムに入っている曲を聴いてだいぶ落ち着けた。

 

ただ、仕事をしていて、自分のクソ真面目なところ、融通のきかないところ、そんなところがいつもよりも少し重たく感じられた。

自分はこの「超論理的なところ」が仕事の役に立っていると思っている。話を聞いたりアルゴリズムをひと目見たりすれば「論理的な面では」その善し悪しが瞬時に判断できると思っているし、何か解決策を示さなければいけない場合には、「論理的な面から」すぐに解答を出せると思っている。

ただ、それは逆に、多くの人間がいる中で柔軟な発想や判断を行うことができない、ということでもある。それに、概して堅い人間より柔軟な人間の方が周りに好かれる、ということもある。

今のプロジェクトでは、自分のような「論理的な」人間は求められていないとつくずく感じていた。さまざま会社、さまざまな年齢層、さまざまな経験とスキルを持った人たちが、ほぼ平らな位置で、比較的緩やかにプロジェクトを進めている。緊張感よりも継続的な調和が求められ、厳しさよりも事なかれ主義でドライブされている。

つくずく、自分がしたいこと、自分ができると思っていることが、このプロジェクトでは、現在の人間関係では求められていないのだと感じた。

 

しなやかにいきたい。

ガチガチに堅くいきたって、バキンっと折れて捨てられるだけだ。

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2011/01/02

家族がひとり、

この正月は1,2日を実家で過ごした。2日には妹夫婦が甥っ子を連れてきてくれた。だんだん大きくなっていくなぁと感じる。

今、実家の両親を見ているのは、今年16歳になる猫のフウちゃん。

20110102_foo

最近ふうちゃんはすっかり痩せてきてしまったのだが、昨年末頃、母が病院に連れていったところ「乳腺にしこりができている」と言われたそうだ。人間でいう乳がんにあたるもののようらしい。

母は手術ができないか聞いてみたそうだが、いかんせんふうちゃんは高齢であるため手術に耐えられないだろうと言われ、手術はあきらめたということだった。

あまりにふうちゃんが苦しむようなことになった場合は、獣医ドリトルではないが「安楽死」をさせることになるという。病院の先生は母に「そのようなときは覚悟しておいてください」とか「安楽死させる覚悟はありますか?」といったようなことを言われたそうだ。

ふうちゃんとは実家を出る際に離れ離れになってもうすぐ5年になる。家では僕に一番懐いていたようだったので心苦しかったが、実家を出ないわけにもいかなかったのでしかたがなかった。

母の感覚では今年の夏を乗り切れるかどうか、ということらしい。できれば長くふうちゃんのそばにいてあげられたらいいと思う。

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2011/01/01

今年の目標 2011

今年の目標に次を挙げます。

  1. 毎日ブログに日記をつける。このブログのアクセスにおいて、Google Analyticsで上位5ページの割合を50%未満にする。
  2. 毎週1日はジョギングする。
  3. tweetを削除しない、非公開にしない。
  4. 人との交流に積極的になる。
  5. ライブのチケットを取ったら必ず行く。
  6. Androidアプリ(スタンドアローン)を3つ作り提供する。
  7. ホスティングを利用してAndroidアプリ(クラウド型)を作り提供する。
  8. 資格を取る。取得よりも勉強に重きを置く。
  9. 海外旅行に行く。
  10. 最善を尽くす。

「人との交流に積極的になる」と「最善を尽くす」に具体性がないですね。でも実は、自分の中では具体的なものはあります。

「人との交流に積極的になる」は、朝のエレベータホールやエレベータの中やトイレなどで誰かと一緒になると、自分は自然に壁を作ってやり過ごそうとしてしまいます。これではその人とは交流ができません。そんな「壁」を作っていることを自覚し、その壁を崩し声をかける、ということが具体策になります。

また、「最善を尽くす」は、最近自分の中でキーワードとなっている「マジにならなきゃ、かてねぇよ」という言葉に由来し、

  1. その日一日、やるべきことを自覚し、リストアップし、計画を立ててしっかりこなしていく
  2. 些細な細かいことも手間を掛けることを面倒くさがらずにコツコツやる
  3. 明日のための準備をする
  4. 夜、その日、一生懸命にできたか反省する

といったことを考えています。

 

自分に必要なことは何か、自分がやらなくてはいけないことは何か、最近、これらを自覚することは案外難しいと感じています。上記の目標も、どちらかというともっと上位の「しなければならないと思うこと」に対する具体策が並んだ印象を持ちます。

自分は何がしたいのか、どうなりたいのか。どんなことをしていると気持ちがいいのか、どんなことができると前進できたと感じるのか。

自分はどうなりたいのか、どこへ行きたいのか、それをしっかり確認することが目標かもしれません。

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