信松院に行ってきた
JR西八王子の駅から徒歩で15分程度、武田信玄の娘で織田信長の嫡男である織田信忠の婚約者であった松姫(信松尼)が、22歳で出家したのち56歳で亡くなるまで暮らした地だ。
事前にウェブでいろいろと調べて臨んだ。今はGoogleのStreetViewでほとんどのことが事前に把握できてしまうのはすごいと思う。失敗したなと思うのは、今日が日曜日だったことだ。定休日なのかな?w それとも、いろいろお寺の方に話を聞けばよかったものを、単に逃しただけだったのかもしれない。
ところで、どうしてお祈りでは反射的に「お願い」をしてしまうのだろうと思った。信松院には信松尼が眠っており、本来ならばお参りというよりはお墓に祈りを捧げ、供養する、というものだろう。幾分の神格化されているのかもしれないけれど、これじゃ本末転倒のような気もする。
自分が観音堂に入ると、一足先にスーツを着た、多少恰幅の良い男性(35~45歳くらい?)が熱心に手を合わせている。観音堂の中には正面に観音さま(何の観音さまかは分からない…)、その右にお経か何かが書かれたもの、同じく左に信松尼さまが手を合わせた小さめの立像が祀られている。彼はその信松尼さまの正面になって、非常に熱心に拝んでいた。自分が観音堂に入るずいぶん前から祈りを捧げていたようにも見えた。自分も信松尼立像を正面からよく見てみたかったのと、彼を邪魔したくはなかったので、彼の反対側で手を合わせ一度観音堂から出た。
観音堂の右脇には、松姫のお手植えの松があったという碑があり、明治時代に書かれた碑文とにらめっこしながら彼が観音堂から出てくるのを待った。その碑の前を通り観音堂の裏手への通路に信松尼さまのお墓への通路が示されていた。
彼は観音堂から出ると、そのまま観音堂の裏手に歩み去った。改めて観音堂に入り、信松尼さまの立像を拝んでから、自分も信松尼さまのお墓へと向かった。
自分はまったくの手ぶらだったのだが、手桶にお水を入れ、ひしゃくを持って、できればお墓に供えるお花を持っていくべきだったと思う。お墓参りなのだから、このくらいの作法はわきまえなくてはいけないと、信松尼さまのお墓の前まで来て思った。先ほどのスーツの彼が、手桶とひしゃくを脇に置き、熱心に祈りを捧げていたからだ。
彼のお参りが済むまで、自分はその手前で八王子市の説明書きを眺めていた。これもネットに写真がアップされていたため、自分にとっては新しい情報ではない。写真に撮ろうかとも思ったのだが、それではあまりにも観光で来たようなので(観光なのかもしれないが)やめておいた。
スーツの彼が自分のわきを通って戻っていくのと入れ替わりに、自分は信松尼さまのお墓に参った。それは雨除けの小さな堂の中にあり、堂にはいわゆる武田菱が金色に輝いている。お墓はたまご型をしていて、それが信松尼さまの優しさを表しているように感じた。お墓の形の種類についてはまったく知らない自分はこの形を珍しく感じたのだが、どうなのだろう。
お墓へのお祈りの後観音堂の方に戻ってみると、自分と同じような人(お参りと観光が入り混じったような)人がちらほらといた。男一人と見受けられる人も2、3人。若い女性はいなかったのだ。一途な生き方を貫いた松姫さまに男性は憧れがあるのかもしれない。
自分は、松姫に憧れがあると思う。個人的に、名前に「松」が入っているのが非常にツボでもある。いや、今はそんなことを言っていてはいけない。
自分は小学校時代の昔から、人を好きになったらずっと、死ぬまでその思いを貫くものだと思っていた。その気持ちは自分が28歳になるまで変わらなかった。自分は、中学2年の時に好きになった人をずっと忘れられず、思い続けた。今の世の中では半分犯罪者扱いであろう。ストーカーといわれてしまうかもしれない。もちろん、そんな行為はしていないのだが。ただ思い続けていただけで。
松姫も信忠も、どんな気持ちだっただろうか。父親同士が決めた婚約、その父親同士が引き裂いた関係。敵同士となり、お互いを憎み合ったのだろうか。まるでロミオとジュリエットではないか。
ああ、信忠さま、信忠さま! なぜ信忠さまでいらっしゃいますの、あなたは?
あなたの父上様を父上様でないといい、あなたの家名をお捨てになって!
それとも、それがおいやなら、せめては私を愛すると、誓っていただきたいの。
そうすれば、私も今を限り武田を捨ててみせます。
これは単にジュリエットの台詞を当ててみただけだけれど、実際に当ててみると、まさに同じようなことが起こっていたのだなと思う。戦国武将の娘ということを考えるとこのようなことは言うはずもないと思うけれど、ロミオとジュリエットの間も条件は同じようなものかもしれない。ということを考えると、逆に松姫もこう思っていたかもしれない。
武田征伐を行う際の信忠の気持ちはどうだったのだろう。ひょっとしたら松姫はこの決戦に際して逃げることはせず、高遠城(松姫の兄である仁科盛信が守っていた城。武田征伐の直前まで松姫が住んでいた)で兄と一緒に自刃していたかもしれない。彼はいくさの間中、松姫の無事を祈っていただろうか。どうか無事でいてくれと。どうか逃げおおせていてくれと。
歴史の上の真実をどこまで追求し、それにどこまで意味を求めるのかについては以前のエントリ短篇「信松尼記」を読んだで書いた。結果的に主家を直接滅ぼしたけれど、当時の超エリートといえる織田信長の嫡男信忠との婚約について、松姫はどう思っていたのだろう。ネットの記事を見たりすると、二人は手紙のやり取りがあって、直接会ったことはなかったけれどお互いに惹かれていた、と書かれていたりする。それは真実なのだろうか。そして、それが真実かどうかということに、400年後の自分たちにはどれほどの価値があるのだろうか。
二人の真実性への価値は、現在の私たちそれぞれの心情に完全に依ってしまうのだろう。厳密な歴史家にとっては二人の話はもしかしたら「笑止」なのかもしれない。交わした手紙が残っているという話はないようだし、当時の慣例から冷静に判断してどうなのか、ということだ。かたや、一途な彼女に感情移入してしまう人にとっては、それがファンタジーであろうと、その人の中には素敵な物語と人を愛することについての一つの真実が立ち上がってくる。
大事なことは、それが真実かどうかを論じるのではなく、そのエピソードから自分たちが何を感じ、何をなすかということだと思う。松姫と信忠の話から人を愛することの尊さを感じ、愛する人を目の前にする幸せ、愛する人が生きているという幸せ、愛することができるという幸せ……。そういったものを感じ、その人を、そして自分を、幸せにすること。
それが大事なことだと思う。
帰りに、八王子駅に下車して松姫にちなんだお土産を買いに(株)松姫に寄った。
ウェブの記事をみて、次のラインナップがあることを調査済みだった。
- 松姫もなか
- 松姫まんじゅう
- 松姫御前(マドレーヌ)
- 松姫どら焼き
これに加えて松姫せんべいというのもあった。いろいろあって迷ったのだが、結局松姫もなか18x2と松姫せんべいを選んだ。あまり考えずに買ったので、職場の人数ぴったりの数になってしまった。
余談だが、このお店、ウェブサイトを持ってないのだ。なんともったいない。松姫もなかはとてもおいしい。後日、実家へのお土産にもしたほどである。
- 関連記事「短篇「信松尼記」を読んだ」 井上靖短篇集 第三巻 から。
- Wikipedia
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